地域の沿革

 群馬県は、上毛カルタにもあるように「鶴舞う形」と言われ、鶴が翼を広げて大空を南西に向かって飛んでいる姿に大変似ています。その鶴の右羽の中央に、本校のある富岡市は位置しています。

 富岡市を含む群馬県南西部は、関東平野を取り巻く丘陵地帯であり、地形的には、山地にかけて緩やかな傾斜地が続く地域です。そのため、稲作より畑作や養蚕が盛んに行われてきました。特に養蚕は、工業が発達途上であった明治期の日本において繭から作られた絹糸や絹織物は、海外に輸出することで外貨を獲得するエースでした。ほとんどの歴史の教科書に写真が掲載され、中学校や高等学校で必ず学習する「官営富岡製糸場」の存在はそれを物語っています。さらに140年余りたった現在まで、ほぼ当時のままの姿で保存されていることは驚くべきことであります。2014年6月21日、ユネスコの世界遺産委員会において「世界文化遺産」に登録されました。

 富岡市には、県内でも有数の神社が二社存在しています。一社は上州一ノ宮である貫前神社であり、もう一つは校区内にある妙義神社です。妙義神社は、江戸時代は中仙道を旅する多くの旅人が途中立ち寄って参拝したという神社で、地域は門前町として栄えました。本校は、2つの小学校から入学生を迎えますが、地域も2つの地区に大別されます。明治以降数回にわたる町村合併により、現在のような形になりました。最近では平成17年度末に富岡市と合併して新しい自治体になったため行政の枠組みは変わりましたが、校区の範囲は変更ないことから、学校を取り囲む環境の変化はあまりありません。

地域の環境

 本校は富岡市の北西部に位置し、西は1,000メートルを超える高さに岩壁がそびえ立つ妙義山が控え、その山麓を源とするいくつかの支流が合流して南東へ向かって流れる高田川に沿って広がる河岸段丘面に住宅や農地が広がっています。地域のシンボルである妙義山の中腹には妙義神社の漆塗りの社殿を見ることができ、古くから参拝する信者や旅人でにぎわっていました。上毛カルタでは、「もみじに映える妙義山」で県民に親しまれています。地形的には西側を山地に、南北を丘陵に挟まれており、まとまりのよい地域といえます。

 校区は大きく2つの地区に分けられます。西側の妙義地区は妙義神社を中心として商業や農業が産業の中心です。一方、東側の高田地区は、高田川による河岸段丘の沖積層に水田や畑が開かれ、農業が盛んです。しかし、両地区とも年々人口の減少や農業従事者の高齢化などの要因から農地が減ってきており、富岡市内や近郊の都市に勤務する方々が増えてきています。

新しい時代に向けて

 妙義地区では、昭和30年に旧妙義町と高田村とが合併してできた妙義町がおよそ51年間続きましたが、平成18年3月27日に妙義町と富岡市とが合併して新しく富岡市となりました。合併しても学区の区割りは変わらないので、現在も旧妙義町地域の中学校ですが、市内の他の学校と肩を並べ、ともに富岡市の教育を支えていくことが求められています。

学校までの交通

電車、バス JR高崎駅から上信電鉄上州富岡下車(約40分)
 上州富岡駅より乗り合いタクシー菅原線妙義中前下車

JR信越線松井田駅下車 松井田駅よりタクシー

車 上信越自動車道松井田・妙義ICから、県道下仁田-松井田線及び県道妙義-富岡線で約10分